18メートルの津波が私から奪ったものと残したもの


東日本大震災から7年が過ぎました。
 
女川町を襲った3.11の大津波は高さ18メートルの悪魔となって祖母と叔母の命を奪い、私の育った家を根こそぎ消し去ってしまいました。

祖母は、息子である叔父におんぶをされて金網をよじ登って津波から逃げているときに流されて亡くなりました。

 
助かった叔父は「おばあさんは俺を助けるために自分から手を放したんだ。」と話していました。
 

叔母は、近所のご老人を車に乗せて高台に避難した後、洗濯物を取り込もうと戻ったときに、車ごと流されてしまいました。

 
叔母は今も見つかっておらず、家族は今もずっと「お母さんが帰ってきますように。」と祈っています。
 

叔母も祖母もいつも優しく、人のために苦労をいとわない人柄でした。そして最後まで人のために行動しました。

 
そして18メートルの津波被害の当事者の父も一年後に病気で亡くなってしまいました。

 
父は震災直後、玄関のタイルだけになった実家を私に見せながらこう話してくれました。

 
「きれいさっぱり何も無くなった。ほんっとに津波の馬鹿野郎だ。でも、絶対にまけられない。」
 

おんぼろの軽自動車に救援物資を一杯に積んで、後ろからエンジンを押し掛けしながら避難所へ運ぶ父。

元、寿司職人だった叔父は避難所で誰よりも朝早く起きて沢水を汲みに行き、味噌汁とコーヒーをみんなに振舞っていました。
 

手伝いに行ったつもりが、逆に、「おかえり」と、ボロボロのTシャツを汚しながら笑う父や叔父の姿は、私の心の一番奥で永遠に光る宝物になりました。

 
たくさんの無念と涙

塞ぎ込む人

逆境に負けじと立ち上がる人

思い出したくもない人

3.11を思うとき、人それぞれに湧き上がる感情があると思います。

 

ボウルに貼った水が揺れてこぼれるように地球が少し震えただけで、積み重ねた日常がこんなにもあっけなく全てが流されてしまうこと。

私は津波の後の惨状に言葉を失ったとき、小さい地球という星の中のひとつの生命体として、自然に生かされていることを感じました。
 

家も何もかもが流されて失ってしまった方々が、希望をもって立ち上がり手を取り合う姿を見たとき、自分を取り巻く人たちへの感謝と愛情の気持ちがこみ上げてきました。
 

ともすると、ときに人間は傲慢になり、自分本位になり、他人を尊重できなくなることがあると思います。

置かれた環境を不満に感じ、自分自身の可能性を卑下し、なにもかも嫌になることもあるかもしれません。

 
自分の中の欲や価値観や世界観に浸り過ぎて、自然や人との調和という根本の法則を無視してしまっては、明るい未来も希望も本当の幸せもありません。

 
そんな時こそ、沿岸部の津波被災地の皆さんの力強い復興の軌跡を知り、多くを学ぶべきだと思います。

絶妙な自然の調律の中で、空気を吸い、自然の恵みを食べ生きていることさえ当たり前ではなく、感謝すべきことなのだと思います。

 

私がこの仕事に転職するとき、迷わず決意できたのは父や叔父が残した光が勇気となって背中を押してくれたからです。

どん底とも思える状況下で「おかえり」とほほ笑む父の生き方に人生の神髄をみました。

 
発災当時は無職だった叔父は今、温泉旅館の料理長として働いています。

3.11が奪ったものは計り知れないですが、それをエネルギーに変えて飛躍している方が大勢います。

 
「忘れない」は、確かにそうです。
 

3.11は、被災地の方々の姿から人生の神髄を学ぶべき日なのだと思います。

最後に、女川に関するニュース記事を目にしたのでご紹介します。

河北新報オンラインニュースより抜粋